Thursday, 28 June 2012

猫パラダイス


猫の世話をするために、4日間、留守宅に泊まり込んでいます。

私の仮住まいの家主の弟と、そのパートナーが旅行に出掛けるため、猫の世話をしてくれる人を探していました。役目は餌をあげるだけ。さらに、ひとりで彼らの家を独占できるのだと聞き、まっさきに手を挙げたのが私。

私の仮住まいはオタワ市内の東にあります。そしてこの4日間の住まいは、西側に位置しています。

夜22時。
学校を終えてから、彼らの家に到着です。

まずは家の鍵を受け取り、少し傾いた玄関の戸を開けるコツを教わります。
「玄関を開けるときは、猫が飛び出さないように注意して」

そしてセキュリティーシステム。
留守中と就寝中の防犯のために、出掛ける前と寝る前にシステムを作動させます。システムが作動しているときに、一階のいずれかの窓か戸を開けた場合は、アラームが鳴ります。
「システムを設定するときは、(玄関のすぐ前にある)居間の扉は閉めておいて。猫が誤って飛び出すかもしれないから」
「朝起きたら、なによりも先にまずシステムを切って、サンルームと台所の窓を開けて。猫が行き来するから」

次に、二階を案内してくれます。
「ここがあなたの寝室。角にあるのは猫用の飲み水」
二階には4つの部屋があり、ユニットバスが2つあります。すべての部屋とトイレに猫用の飲み水が入ったボールが置かれ、これを満たすことも私の仕事です。
「トイレの蓋はいつも閉めておいて。猫がトイレの水を飲んだらいけないから」

次は地下。
「猫用トイレはここね。これは毎日、掃除して」

最後は居間と台所。
3匹の猫インキーとパディントン、スヌーズルは、それぞれ自分の餌場を持っています。
メモ用紙が差し出されました。たくさん言うから、書き留めておいて、と。

猫たちの食事は、朝晩の一日二回。
スヌーズルは痩せすぎているので、高カロリーのこの食事を出して。食が細いので、こうやって側で見ていて、励ましてあげて。それでも食べなかったら、他の「ふたり」と同じ食事を出してみて。
パディントンは肝臓を病んでいるので、この薬を猫カンの上に振りかけて。
インキーはたくさん食べるから、何度も食事を催促すると思うの。一食多くあげたからって体に毒なわけじゃないから、もう一回あげて。

猫カンは冷蔵庫にあるこれ。無くなったら、別の種類をあげてみて。味が違うからもしかしたら食べないかも。その場合は、捨てて、いつものやつをあげて。

餌場にはランチョンマットが敷かれ、その上にガラスのボールと陶器の器が置かれています。ガラスのボールは猫カン用で、陶器はドライタイプのキャットフード用。
「日によって食べたいものが違うみたい。まずは猫カンをあげてみて。食べなかったらドライタイプのキャットフードを用意してあげて」

日に何度か、「三人」が在宅しているか確認することも、忘れてはいけません。
「特に出掛ける前と帰ってきたときは、名前を呼んで確認して」

ふと気がつけば、時間はすでに深夜0時。
「言い忘れたことがあれば、明日、出発前に伝えるね。おやすみ。部屋の戸は少し開けておいてね。三人が夜、出入りするから」

シャワーを浴びて部屋に戻ると、パディントンが、開けっ放しにしたキャリーバッグに潜り込み、私の洋服の上で転がりながらその感触を楽しんでいるところでした。

「家が火事になろうと、ものが壊れようと、いっこうに構わないよ。猫たちさえ4日間、元気に過ごしていれば」
そう言い残して、翌朝ふたりは旅立って行きました。

後に残されたのは、大量のメモ書きと、読むつもりで持参した4冊の小説、自由気ままな3匹の猫たち、そして朝から大忙しの私。


Sunday, 24 June 2012

別荘な週末


友人の両親が所有する別荘で、週末を過ごしました。

なにやらとても贅沢なことをしたように聞こえますが、ここカナダでは、これが最もポピュラーな余暇の過ごしかたなのです。
その理由に、土地の値段が安いことが上げられます。

カナダの国土面積は世界二位を誇ります。日本の約26.4倍もの土地に、日本の約1/4の数の人びとが暮らしています。有り余った土地の値は安く、人里離れた別荘ならば300万円くらいから買えるようです。都市から車で1、2時間の、交通の便が良い場所ならば、1千500万から2千万円くらいが相場だと言われています。

そして気になるのが、別荘でなにをするのか、ということ。

オンタリオ州オタワ市とケベック州を結ぶフェリーに乗り、乳牛がのんびりひなたぼっこをする高原の間を抜け、何度か野生の鹿に出会いながら、車で走ること2時間半。湖畔に面した別荘地にやってきました。

6軒のこじんまりとした別荘が連なっていて、水着姿の老若男女が水の周りに椅子を配し、ビールを飲みながらくつろいでいるさまは、まさに日本の海水浴場です。違うのは、ここがプライベートビーチであること。6軒の別荘の所有者やその家族、そして私のように招かれた者以外は、この場に来ることはありません。
公園や川辺などの公共の場での飲酒が、法律で禁じられているカナダ。人びとはプライベートな場所で飲酒を楽しみます。

気温が30度にもなれば、気分はすっかり常夏です。
さっそく水着に着替えて、カヤックで湖に出ました。広い湖の真ん中を進みます。チャプンチャプン。自分の立てる音以外は聞こえません。何とも言えない開放感です。手を休めて、目を閉じました。カッと焼け付く太陽の熱と、湖の周りに生い茂った木々がざわめいて立てる風。目を開けると、ラッコが水面にピョコンと顔を出したところでした。

ランチは、カナダの夏の定番メニューであるBBQです。
日本の炭火のBBQとは違い、ここカナダではジャーマンソーセージやハンバーグを、屋外に置いたポータブル式のガス台で焼きます。これにサラダとパン。

ランチの後は、外でお昼寝タイムです。

そして、パントゥーンと呼ばれるレジャーボートに乗り込み、再び湖に出ました。
若者を熱狂させるチューブという遊びです。
ボートがひっぱる、穴の開いていない巨大な浮き輪「チューブ」に腹這いになり、振り落とされないようにしがみついているのです。ボートは波をたてて走り、ボートと紐でつながれたチューブは勢い良く横滑りになり、大きくジャンプしながら波に呑み込まれます。
チューブがコントロールを失うたびに、チューブから悲鳴が上がります。
チューブから人が振り落とされれば、ボートから歓声が上がります。

その後は読書をしたり、おしゃべりをしたり、アルコールを楽しんだり。

夕食前に、ジェットスキーでまたまた湖に。

夕食後は、キャンプファイヤーの周りに人びとが集まり、夜長のおしゃべりが続きます。

ここにはインターネットもなければ、電話もありません。
自然の中で思う存分遊びまくる。
これが別荘な週末です。

Friday, 15 June 2012

身分証明書


カナダに来て3か月が経ち、ようやく生活に必要な以下の身分証明書がすべて揃いました。
1) 運転免許証
2) 社会保険番号証
3) バスの身分証明書
4) 永住登録カード
5) 健康保険証

カナダに来てまず入手したのが1)の運転免許証。
在カナダ日本大使館で、日本の運転免許証の翻訳を入手し、それを持ってオタワの運転免許センターを訪れました。書類にサインをしたり、写真を撮ったりして、15分後、その場で仮の運転免許証をもらいました。2週間後には、運転免許証が自宅に発送されました。
手元には日本の運転免許証も残りました。

オンタリオ州は、9か国と運転免許証に関する特別な協定を結んでいるようです。米国、韓国、スイス、ドイツ、フランス、英国、オーストリア、ベルギー、そして日本が発行した運転免許証を持っている人は、無試験で、オンタリオ州の運転免許証を手に入れられるわけです。
つまり、私はオンタリオ州の運転免許証を、お金で購入したような形になりました。

カナダで仕事をするために必要なのが2) の社会保険番号証です。通常、SINカードと呼ばれていて、日本の雇用保険番号のようなものです。この番号は、確定申告、所得税の支払や払い戻し請求などに使われるようです。カナダで就職したら、雇用主にこの番号を伝えます。番号がなければ、仕事ができません。

バスの定期券を購入するためには、3) のバスの身分証明書が必要です。そして乗車時にはいつも携帯しなければいけません。定期券とこの身分証明書を一緒に、バスの運転手に提示します。

なによりも大事な身分証明書が、4)の 永住登録カードです。カナダ政府は、ここに記載された番号で、私の永住者としても情報を管理します。移民のためのサービスを受けるときは、この番号が必要です。カナダに出入国するときには、日本のパスポートと共に必ず携帯しなければならないのも、このカードです。
永住権を持ってカナダに初上陸をしたときから、永住登録の手続きがはじまります。そして2か月ほどで、自宅に永住登録カードが送られてきます。

カナダに住む国民と、労働ビザを持ってる外国人とその家族、そして難民と永住者は、カナダの国民医療が受けられます。無料で、病院にかかれるのです。該当の権利を持ってカナダに初上陸してから3か月後から、適応になります。

明日で、永住権を持ってカナダに上陸してから3か月が経ちます。それを前に、ついに5)の 健康保険証が手元に送られてきました。

3か月。
未だに仮住まい中ですが、カナダの生活にも慣れてきました。

Sunday, 3 June 2012

新しい友達


私には、ニコールという名前の友達がいます。友達と言っても、私が彼女について知っていることはわずか。
彼女が美しい青い瞳を持つ短髪の女性であること、介護施設に住んでいること、フランス語を話すこと、そして魚とケチャップとカフェオレが好き、ということだけ。

ニコールに出会ったのは、オタワに着いた翌々日のこと。
家主の母親が入所している施設に、付き添って出掛けたときでした。

ロビーに入ると、じーっと私を見つめる、テーブル付きの車いすに座った女性に気付きました。笑いかけながら片手を上げて私が挨拶をすると、彼女は歯のない口元を大きく開き、手首から内側に曲がりきった両手をテーブルに打ち付けながら、顔をくしゃくしゃにして喜ぶのです。なんとも愛らしい姿のこの女性が、ニコールです。

施設の夕食は17時。
ほんの興味から、母親を伴う家主に付いてダイニングルームに向かいました。合計40人くらいが、自分で食事を摂れるグループと、介助を必要とするグループとに別れて座ります。

入所者の90%がフランス語を母語に持つ人たちです。そのため、スタッフも当然、フランス語話者です。フランス語を解さない私は、さて、どうしたものかと部屋の片隅にとどまっていました。と、母親の隣に座った家主が、私の顔を見ながら、ひとつのテーブルを指差すのです。食事の介助をしろ、と。いまさら部屋を去るのもバツが悪い。

当てがわれたテーブルには、ニコールが座っていました。話すことも、スプーンを持つこともできないニコール。私が隣に座ると、彼女は長いまつげを揺らしながら、頭をぐるぐる回してはしゃぐのです。ミキサーにかけられた食事を、スプーンでニコールの口に運びます。
「おいしい?」と尋ねる私。私の下手なフランス語をバカにもせず、ニコールは満足そうに大きくうなずき、そして、また大きく口を開きます。

この日以来、私がいるときは、ニコールの食事の介助は私の役目になりました。

配膳カウンターの職員に「肉?魚?」と聞かれれば、魚と答え「ソースは要りませんよ」と伝えます。皿の上にケチャップをたっぷり掛けて、それからカップ2つにカフェオレを注ぎ、ニコールの隣に座ります。フォークで魚をつぶし、「熱いよ」と言いながらニコールの口に運びます。
食事の後に、ストローを使ってカフェオレ2杯をキュッと飲み干したニコールは、決まって言うのです「ありがとう。愛しているわ」。車いすに装着されたテーブルの上に貼った言葉を、曲がった手首で指しながら。
「どういたしまして。私たち、友達じゃない。」

厚い言葉の壁をいつも感じるカナダで、ニコールは私に自信を分けてくれます。