Thursday, 31 May 2012

職業訓練校 2〜ライティング編


職業訓練校に通っています。
1日4時間のクラスを2クラス取っています。ビジネスマナーと、ビジネス文書のライティングのコースです。

移民の国カナダには、移民のための学習プログラムがたくさんあります。プログラムの内容もさまざまで、語学学校で英語やフランス語を学んだり、就職相談をしたり、文化を学んだりできるのです。これらのコースが無料か、30ドルほどの登録料を支払うだけで受けられます。

私が通うのはどちらも超人気のコース。定員19名が、募集がかかってから2~3日の間で埋まってしまいます。

【ライティング編】

週3回の、このコースに通い始めて5週間が経ちます。夜のクラスなので、帰宅が23時近くになります。帰宅してすぐに寝床に入るほどに疲れますが、授業ではいつも新しい発見があります。

習うことは、正しい文法の使いかたと、読んでもらえる分かりやすい文章の書きかた、読み手の利益を考えた広告ライティング法です。

普段は読むことのない英語の本も、教科書ならば別です。厚さ3cmもあるのに、熱心に読んでいます。

文章を書くことが好きな私。
教科書に書かれたテクニックを使って、自分の書いた文章を書き直していきます。そうすると、それまでべったりと紙に貼り付いていた文字たちが、生き生きと踊りながら紙から飛び出してくるのです。これがなんとも言えない快感です。

日本語には、句読点の打ちかたに決まりはありません。英語にはあります。ピリオド (.)やコンマ (,)のほかに、セミコロン (;)やコロン (:)もあり、それぞれの使いかたにルールがあるのです。

夜のコースなので、生徒たちは仕事を持っている人たちも少なくありません。仕事に関わるビジネス文書のテクニックとあって、授業に取り組む姿勢も真剣です。

間違えることを楽しんでいたエリートな移民たちも、5週間を経た今では、なかなかサマになった文章を書けるまでになっています。

8週間後の修了までに、どれくらい上達するか楽しみです。

ビジネスマナーについては、「職業訓練校~ビジネスマナー編」をご覧ください。

Monday, 21 May 2012

ビクトリア・デー


カナダに住む人たちが楽しみにしていたビクトリア・デーがやってきました。月曜日を含む3連休です。

ビクトリア・デーは、夏の到来を意味します。日本の海開き、といったところでしょうか。玄関を花で飾り、庭に野菜の苗を植えます。そして、別荘がオープンします。

カナダの首都をオタワに決めたことで知られる英国・ビクトリア女王の誕生日が5月24日。彼女の誕生日を、それよりも前の週末でお祝いするのがビクトリア・デーです。
私の仮住まいでも、家主一家がこのビクトリア・デーを"May 24th(メイ トゥエンティー ホース)"と呼んで楽しみにしていました。

つい一ヶ月前に降った雪のことなど、思い出せないほどの青空。気温30度にもなった2012年のビクトリア・デーは、すっかり夏の陽気です。

家主に連れられて、玄関を飾る花たちを買いに出掛けました。
屋外に設けられた花市場。
日本の小学校の体育館2つ分くらいの広さの敷地に並べられた艶やかな花たちが、サンダル履きの買い物客をさらに夏気分に誘います。長いハンドルが付いた2段式のカートを引っ張りながら、花と花の間を進みます。

赤や黄色、白、紫、さまざまなトーンの緑色が、雲のない青く澄んだ空によく映えます。ダリアやビオラの間で、アコースティックギターを抱えた20歳くらいの女性が優しく歌いかけます。どの客も、カートの上下の段に花を積んでいます。ラベンダーやバラが、甘い香りを放ちます。

家主が購入したのは、直径30cmの吊り鉢2つ。

玄関のポーチにつり下げられた鉢からは、こぼれ落ちるビーズのように何色もの鮮やかな花たちが溢れています。

オタワにも、ついに夏が訪れました。

Monday, 14 May 2012

バイリンガルの町、オタワ


オタワの町を歩くと、いたるところにふたつの公用語が溢れています。

オタワ市は、トロント市と同じくオンタリオ州に属しています。しかし、短い橋を渡ればそこはもうフランス語圏であるケベック州です。オタワ市が、政治を司る町であることと、オンタリオ州とケベック州の州境であること。これらが、ふたつの言語を身近に感じる要因かもしれません。

ご存知の要にカナダには、ふたつの公用語が存在します。英語とフランス語です。なぜこの国が、ふたつの公用語を持つことになったかについては、歴史をさかのぼらなければなりません。

その昔、フランス人が現在のケベック州付近に到着し、「カナダ」を発見しました。その後、イギリス人が「アメリカ」にやってきて、北米の領地を拡大するフランスとイギリスの間で幾度とない争いが繰り広げられました。
宝暦13年 (1763年)に、「カナダ」がイギリス領となり、引き換えに、フランス語を尊重することをフランスに約束しました。
そして慶応3年 (1867年)、日本で江戸幕府が末期を迎えた年の7月1日に、カナダがイギリスの監視の下で自治をはじめます。そして昭和6年 (1931年)、ついに独立国家カナダが誕生しました。

このころには、すでに移民として、フランスとイギリスから多くの人たちがやってきていました。公用語としてどちらかを選ぶと、もう片方が騒ぎだすのは当然のことです。
昭和44年 (1969年)に公用語法がカナダ国内で施行され、カナダは二言語を公用語とする国になりました。

しかし、昭和52年(1977年)にケベック州でフランス語憲章が制定されました。これは、ケベック州ではフランス語のみを公用語とすることを意味します。
カナダに約20%いると言われるフランス語を母国語とする人たちは、フランス語を次の世代に受け継ぐため、あらゆる努力をします。ケベック州内の看板や標識は、フランス語が英語の二倍の大きさで表記されます。

そんなケベック州と隣接するオタワ市は、フランス語と英語が溢れているのです。

役所に行けば、バイリンガル(*)の案内係が応対します。店で売られる商品のラベルは、二か国語で表記されます。町で見かけるポスターや看板は、二か国語で書かれています。バスに乗れば、二か国語のアナウンスが流れ、乗客たちは二か国語を上手に操り会話を楽しみます。

オタワ市で暮らすもうひとつの楽しみは、フランス語を学ぶことかもしれません。

* カナダでは、バイリンガルとは、フランス語と英語を話す人を指します。

もう少し具体的なお話は、「映画の中のカナダ」で。

Thursday, 10 May 2012

職業訓練校〜ビジネスマナー編



職業訓練校に通い始めました。
1日4時間のクラスを2クラス取っています。ビジネスマナーと、ビジネス文書のライティングのコースです。

移民の国カナダには、移民のための学習プログラムがたくさんあります。プログラムの内容もさまざまで、語学学校で英語やフランス語を学んだり、就職相談をしたり、文化を学んだりできるのです。これらのコースが無料か、30ドルほどの登録料を支払うだけで受けられます。

私が通うのはどちらも超人気のコース。定員19名が、募集がかかってから2~3日の間で埋まってしまいます。

【ビジネスマナー編】

待ちに待った授業の初日。
不統一な肌色と、髪の毛の色の生徒が集まってきます。南米やヨーロッパ、アフリカ、中東、アジアの国から来た移民たちが、同じ言語で会話をし、授業を受けます。大半が大学教授や薬剤師、弁護士、獣医師などのエリートたちです。カナダの移民審査はポイント制です。学力や職歴、スキル、語学力など、あらゆる審査に合格して移住して来た彼らは、エリートであって当然なのです。のほほんと移り住んで来た私とは、訳が違います。

エリートたちがここカナダで職業訓練校に通う理由は、たったひとつです。ビジネスマナーを身につけること。文句なしの経歴を持ってやって来た彼らに欠けているスキルは、この国の社会にとけ込むだけのビジネスマナー。

少し考えてみてください。
私たち日本人は子どものころから、家庭でも学校でもお辞儀のしかたを学びます。正しいお辞儀のしかたを聞かれたら、きっと誰もが同じように答えるでしょう。

両手の指先をピンと揃えて、それを両太ももの外側に付け、腰を前に45度に傾け、視線は床に落とす。お尻が飛び出さないように、注意をする。

これが握手のしかたとなるとどうでしょうか。
さて、どんな状況のときに、どんなタイミングで、どれくらいの握力で、どれくらいの長さの握手をしたらいいのでしょう。

初めて出会う人には、自分から率先して右手をまっすぐに伸ばします。伸ばした先の手は、親指を上に向けて、残りの4本の指は揃えて前に伸ばします。差し出された相手の親指と人差し指の間、つまり水かき部分と、自分のそれをピタリと合わせ、しっかりと握り合います。強すぎると相手に恐怖を与えます。弱すぎると、相手の不信感を招きます。自信と信頼感を込めてしっかりと握り、上下に3回振ります。左手は、ゆったりと床に向けて伸ばします。視線は、相手の両目と鼻をつないだ三角形の中を、行ったり来たり。
上司に同行した場合は出しゃばらず、座っているときは立って、相手の手を握ります。
これが正しい握手のしかただそうです。

湿った手で握手するのは、相手に失礼です。両手で相手の手を包み込むと、なにかを企んでいるように思われます。親指以外の4本の指のみを差し出し、相手に握ってもらうのはビジネスの場では非常識です。

簡単なようですが、これがなかなか上手くいかないのです。生徒同士で何度も練習を重ねますが、クールにできるまでには少し時間がかかりそうです。

異国の地で成功を狙う無職のエリートたちの疑問は止みません。
メールの題名は?宛名のMr.の後ろはどう続くの?書き出しは?締めくくりは?
プレゼンテーションの出だしはどんな言葉がいいの?会議中の質問はどう切り出したらいいの?

毎日、4時間があっという間に経ってしまいます。

ビジネス文書のライティングについては、「職業訓練校 2〜ライティング編」をご覧ください。

Sunday, 6 May 2012

春の風


日中の気温が20度まで上がった土曜日、バスに乗って町まで出掛けました。

家からバス停までは、住宅街を10分ほど歩きます。この辺りの家々には、車道から玄関まで3mほどの前庭があり、花柄の絨毯のように青々と繁った草の間にタンポポが咲いています。全長50cmくらいの黒色のリスたちが、背中と尾っぽを「眼鏡橋」のように湾曲させて、道路や庭を駆け巡ります。庭のところどころに見える掘り起こした跡は、スカンクの仕業です。



バスの運転手も夏の装い。ショートパンツに半袖姿で運転をします。朝晩の気温が、霜が降りるほどの寒さであることが、本当に嘘のよう。

私が住むオーリーンズには高いビルが少なく、空がとても高く広く見えます。車窓から眺める空でさえ、青く澄んでいて、そしてはてしなく遠くに思えるのです。


あるバス停で、ちょっと滑稽な姿の男性が乗り込んできました。
年齢は65歳くらい。貫禄を表すかのようにあごひげを生やし、鼻の下にも髭を蓄えています。髪型は、漫画『サザエさん』に登場する波平さんのロングヘアー版。つるりと禿げ上がった頭の耳辺りから、白くなった長い髪が、肩胛骨あたりまでゆるやかに伸びています。耳には、直径10cmくらいの大きなリングのイヤリングをぶら下げています。背中には小花模様のリュックサック。揺れるハイビスカスのキーホルダーは、ブレスレットと色違いです。肉付きの良い体には、紺色と白のハイビスカス模様のノースリーブのワンピース。そこから伸びるのは、体毛がびっしり貼り付いた手足です。つり革を握る腕の付け根には、年季の入った脇毛がもっさり。ふくよかに盛り上がった胸元も見逃せません。丸眼鏡の奥には、まんまるのあどけない黒目があります。


彼は20代の女性と、5kgの米袋サイズの荷物3つと、連れ添ってバスに乗ってきました。荷物を床に下し、両手をつり革から、握り棒に持ち替えます。肩にかかる髪の毛をしきりに後ろへ払いながら。両手をまっすぐに握り棒に掛けて、体をバスの床から60度に傾けて、バスの揺れに合わせて左に右に体を動かします。あごをほんの少し上に向けたその姿は、まるでポールダンスをしているかのよう。窓から入る春の風が、ふわりと彼の髪の毛をなびかせます。


町に入ってすぐのバスターミナルで、彼と連れの女性がバスを降りました。重そうな荷物を3つたくましく持って、ワンピースの男は女性の前を歩いていきました。


オタワ市内はこの時期、チューリップ祭りで賑わいます。町のいたるところに植えられた多種多様のチューリップが、町を彩ります。
第二次世界大戦の最中、カナダに亡命していたオランダ女王が、戦後になって帰国し、10万株におよぶチューリップをオタワに贈り、市民に感謝を表したそうです。そのチューリップが毎年この時期にいっせいに満開になったことから、チューリップ祭りが開かれるようになったと言われています。


オタワ市民は、この祭りで春の訪れを感じます。私の仮住まいの裏庭でも、チューリップが花を開かせています。

Thursday, 3 May 2012

魔法のピーナツバター



ここが仮住まいとは言え、住んでいれば私の家。

時間を見つけては、所持品を使いやすい位置に収納しています。マグカップは台所の棚にあるのが良いし、洗濯ネットは洗濯機の側がやはり使い勝手が良いものです。

そうやって、保管スペースを見つけるために、棚を開け閉めしていると、見ないで良いものまで目に入ってきます。錆び付いた缶詰や、置き去りにされた開封済みのスナック菓子など、これからも誰の手にも取ってもらえないものたちを処分していくと、自然と空間が生まれます。そこに、私の所持品を並べていきます。

埃を被った1リットルほどの容量の、細長い空き瓶を見つけました。蓋にはパッキンがついていて、お茶の保管にはもってこいの形状。洗って、さっそく持参した麦茶を入れてみると、ぴったりと収まります。それを、「コーヒー&紅茶」セクションの棚に並べてみると、これまたうまい具合に収まります。

たったひとつの問題は、瓶に一周ぐるりと貼り付いたラベル。瓶を洗ったときに、ラベルをヘタに剥がしたものだから、瓶に触れるたびに粘着テープがべたべたと手にまとわりつきます。ブラシで擦っても、ガムテープを貼付けて剥がしてみても、べたべたは取れません。

「ピーナツバターだよ」
どこからともなく現れた家主の声が、雲の上の神の声のように耳に入ります。家主は顔色も変えず繰り返します。
「ピーナツバターで擦ったら、一発だよ」

はて。「ピーナツバター」と聞こえたのは、私の英語力のせいでしょうか。

「日本でもピーナツバターは食べるの?」などと呑気なことを言いながら、家主が棚から取り出したのは、やっぱりピーナツバターの瓶。
うずら卵くらいの大きさ分のバターを、べたべたの上に擦り付けていきます。5cm四方に切った紙ナプキンで、くるくると円を描くようにさらに擦ります。

くるくるくるくる。

なんということでしょう。べたべたが、いとも簡単に消えていきます。黒板に書かれたチョークの文字を、黒板消しで消すかのように。最後にお湯で、「黒板に延びたチョークの粉」を洗い流せば、あら不思議。指で瓶に触ると、キュッキュと音まで聞こえるのです。

家主の家に代々伝わる「常識」だそうです。ピーナツバター、あっぱれ!

Tuesday, 1 May 2012

異国の地で



マダム ガッドマイルの家を訪れたのは、カナダに上陸してから数日後のこと。

アパートが見つかるまで仮住まいをしていますが、日本から送った荷物はさすがにひと部屋には入りきらず、仮住まいからバスで20分のところにあるマダムの家の地下室で預かってもらっています。

お目当ては衣類。

気温がめまぐるしく変化するオタワで生きていくには、洋服の着こなし術を身につける必要がありそうです。
5月に入ったこの時期で、朝の気温は0度前後です。日中は5~16度の間を行ったり来たり。これが夜19時ごろまで続きます。そして、夜は0度からマイナスに下がります。

出掛けるときは、下着の上にまずは半袖のTシャツを着ます。その上には薄手のカーディガン、そして厚手(または薄手)の上着に薄手(または厚手)のジャケット。これが基本です。室内はどこも20度くらいと暖かいので、気軽に脱着ができる装いが好ましいのです。

日本から、大量の段ボール箱を船に乗せてカナダに向けて送り出したのには、たったひとつの理由がありました。
カナダに着いたその日から、しっかりと生活をしていけるだけの用意をしておきたかったのです。
この移動は旅行でもなく、転勤でもなく、移住なのです。海を飛び越えたところに位置するカナダに、腰を据えに行くのです。

最低限の身の回り品のほかに、故郷を身近に感じることができる品々を選び段ボール箱に詰めました。それは本だったり、和食器だったり、写真や私宛のカードなどの思い出の品だったり。

「時間は気にしないで。ゆっくり探し物をしてちょうだいね」
とマダム。

地下室に続く階段を降りると、バーカウンターを備えた6畳くらいの広さのリビングルームが現れます。その隣には4畳半くらいのサイズのビリヤード部屋。これらの部屋の向かいにある「倉庫」と化した部屋に、私の荷物が置かれてありました。
箱の数は17個。持参した梱包リストと箱に書かれた番号を頼りに、必要なものを取り出していきます。

ふんわりと箱の中から漂う、懐かしい日本の香り。

このとき始めて、私の決断は正しかったのだと思えました。
送料は予算を超えたけれども、これまで私が使ってきた物たちが、私を外国にいる孤独感から解き放ちます。

思いのほか長居をしてしまったことを詫びて、バックパックにブーツやコートなどの冬服を詰め、マダムの家をあとにしました。
「寂しくなったらいつでも来なさいね」、後ろで聞こえるマダムの声が、私の背中を通過して胸の中を温めます。

それからまた数日後。

外出先で、コートのポケットに入れた手が、何かに当たりました。引き出してみると、それは、高さ3cmほどのの親子の置物でした。象グッズのコレクターである私が、ずいぶん昔に買ったものです。移住を期に多数のグッズを手放しました。
この2体は200円ほどの安価な品物ですが、ぐりんと丸く持ち上がった長い鼻の先に、赤いリンゴを付けている愛らしい姿が好きで、最後まで手元に置いていました。
何を思ったのか、コートのポケットに忍ばせて、カナダまで送ったのでしょう。

思いがけず再会した、赤いリンゴを鼻の先に付けたの親子は、いま、私の仮住まいの洗面台の鏡の前に立ってます。「寒い世界に旅立つ」準備をする私を、毎朝、見守ってくれています。